[ 弊社の役割 ]
弊社では、オーナー様のご要望や事業内容及び生活スタイルをヒアリングさせて頂き、長年蓄積した経験を活かしつつ、時代の変化を積極的に取り入れ、将来を見据えた設計・現場監理を行ってまいります。
[ 設計に対する基本的原則 ]
建築は、単純かつ簡素にして、自然であって、機能的で、経済的であることを、美学的見地から五つの原則としております。これにより、飽きることがなく次の世代へと受け継がれる建物が完成いたします。
Architectual
Design
おかげ様をもちまして、北澤建築設計事務所は、本年53周年を迎えました。昭和、平成、令和と激動の時代を経て、今日を迎えることができましたのも、ひとえに皆様のご愛顧、ご支援の賜物と心から感謝申し上げます。
近年、気候変動や建築資材・人件費高騰などの影響から建築はこれまで以上に緻密な計算が必要とされます。私どもは、これまでの経験を活かし、新しい技術を積極的に取り入れて参りたいと考えております。
〈代表取締役社長の交代・会長就任のお知らせ〉
2023年7月、代表取締役社長の職を北澤興一から息子である北澤司郎へ交代し、北澤興一は、会長へ就任させて頂くことになりましたのでお知らせいたします。
会長/建築家
北澤 興一
KOICHI KITAZAWA
資格:一級建築士
所属団体:日本建築学会正会員
[ 会長略歴 ]
代表取締役/建築家
北澤 司郎
SHIRO KITAZAWA
資格:一級建築士
[ 会社概要 ]
私(北澤興一)がレーモンドに入所したころに軽井沢新スタジオが完成しました。そのスタジオはレーモンドが夏に創作活動を行うための拠点として使われており、毎年10名ほどのスタッフを連れて約2ヶ月の間、麻布から移り住んでいました。そこでは、その年の代表的な作品の基本設計を行うのが主な仕事で、麻布の事務所とは違い、屋外はもちろん部屋の中でも自然に包まれたような空間が演出されており、その中でレーモンドやスタッフと過ごした貴重な時間、お客様を招いてのバーベキューなどの体験は、大切な思い出となっています。
[ レーモンドの日課 ]
軽井沢に於けるレーモンドの日課は、朝4時に起床し夫妻で犬を連れて近くを1時間散歩してから、絵や彫刻を作り、8時から朝食、9時から私達と設計の仕事をして、12時から15時迄は昼食と自分達の事をして、夕方は私達の図面をチェック。夜は8時に就寝するという規則正しい生活をおくられていました。
[ 軽井沢新スタジオを残す ]
軽井沢新スタジオは、1973年レーモンドが85歳になり、体調をくずして家族のいるアメリカのニューホープに帰国するまで使用されていましたが、帰国を期に取り壊すことが検討されましたが、レーモンド建築に魅かれていた私は、この建物を残したいという思いで私が譲り受け、レーモンドが使用していた状態を限りなく残し保存しています。
家具、壁の絵画、棚の上の陶器までもそのままの位置で、早くも50年間が経過してしまいました。
木造建築で築後61年、屋根の茅葺きが駄目になった以外は、これといった改修は必要がありませんでした。この事実は、仕上材料の選択が完全であったことであり、細部に至る完成度の高さを実証するものです。アトリエは構造体をそのまま表して、杉丸太の組合せが美しくデザインされ、垂木、野地板が仕上げ材となっています。床はブナフローリング貼、壁はラワンロータリーベニヤ目スカシ貼、真鍮釘打は塗装もなく、適度な汚れ色となっているものの、まだ綺麗な状態が保たれています。
建物は、図面や写真で見ることより、その部屋で座ったり立ったりして生活することで、その空間の美しさを実感することが出来ます。平面の大きさ、天井の高さ等の比例が良く、障子の和紙を通して射る光は柔らかく、洋間でありながらどこか和風の暖かいインテリアとなっています。
レーモンドの設計理念が集約されているのがこの建物です。自分自身の為に造られた建物で保存されているものは軽井沢新スタジオだけであり、偉大な建築家の業績を讃え、今後も大切に保存していきたいと考えております。
レーモンド夫妻は、1919年旧帝国ホテル建設のため、フランク・ロイド・ライトと共に来日しました。1973年85歳で日本を去るまで、主として日本で過ごしながら、数多くの近代建築を設計してきた日本近代建築の生みの親であり、常に指導的立場で活躍された建築家といえます。アメリカの建築技術や新しい材料を日本に持ち込み、国産化しては創造的で意欲あふれる作品を次々と設計してきた人であります。その作品は日本人建築家の模範となり、日本近代建築の発展に多大の影響を与えてきたことになります。レーモンドは、仕事に対して極めて厳格で一分の妥協もなく、つねに自分の信念を貫いた建築家でありました。その厳しい格は、そこで働く建築家に強い影響を与え、多くの建築家が巣立っていったのであります。
吉村順三先生も芸大を卒業されて、1931年にレーモンド事務所に入所され、11年間をレーモンドのもとで働いており師弟関係であります。同じように前川国男、杉山雅則、増沢洵さん等々、日本建築界の大家といわれる人たちがおり、その先生方のもとに次の世代が育ち、その人脈系図を書いていくと、レーモンドの存在は計り知れないものになります。
[ 緊張感のある仕事場 ]
麻布のアトリエでの生活は、所員数は80名と当時としては一番大きな設計事務所であり、そのうち8名がレーモンド直接の仕事をするスタッフとして選ばれ、専用の小部屋で作業を行っていました。
小部屋の雰囲気は、話し声がなく、緊張感のある中でペンの音だけが何時間も続いていました。レーモンドは、1日に4回ほど図面のチェックに廻り、そのときがとても恐怖な瞬間で、図面を見て気に入らないところがあると、大きな声で怒鳴ることから「雷が落ちる」と所員は表現していました。
■1971 ~ 1975
立花証券本社 ・クリスチャンアカデミー特別教室棟・長沼静きもの学院・虎ノ門ビル ・日本旅行営業所(赤坂+新宿+松本)
■1976 ~ 1980
日本旅行営業所(富士宮+新宿+新橋+五反田) ・丘整形外科 ・高輪カネオビル・成田内科・河北町庁舎 ・河北中学校 ・保育所
■1981 ~ 1985
鶴鳴女子高校・長崎女子短大・千代田独身寮・河北町立大川小学校 ・電化駒込クラブ・旭ヶ丘幼稚園・トレーニングセンター・MY 品川ビル・飯野川小学校
■1986 ~ 1990
OVAL BLDG. ・姿勢保険均整専門学校・河北町立二俣小学校・DIX-SEPT HOUSE ・The Crest ・天野ビル ・大谷地小学校
■1991 ~ 95
東品川ビル ・割烹旅館朝屋・CAJ 体育館・箱根ビラ ・砧ハウス ・狸穴ハウス ・雄電YE ビル ・東山ハウス ・長崎女子短大 ・旗の台ハウス
■1996 ~ 2000
鶴鳴女子高校体育館 ・CAJ アカデミック棟 ・幸伸営業ビル・世田谷の家 ・東山ハウス ・KI ハウス ・成田内科 ・軽井沢山荘
■2001 ~ 2005
ヤマライブラリー・幕張ハウス ・成田邸 ・軽井沢追分の家 ・岡本の家 ・烏山ハウス1,2 ・成城の家 ・N 山荘 ・U 山荘 ・H 山荘 ・ND 山荘
■2005 ~2010
電設健保会館改修工事 ・軽井沢S 山荘 ・軽井沢NT 山荘 ・HA 山荘 ・烏山ハウス3 ・K ハウス ・等々力ハウス ・H 店舗 ・上池台ハウス ・稲城ハウス ・U 邸
■2010 ~ 2015
佐野ハウス ・軽井沢NA 山荘 ・烏山F ハウス ・松涛ハイツ建替計画 ・H 邸 ・渋谷一丁目ビル ・CAJ 学生寮改修 ・新宿ビル計画 ・S 邸・長崎女子高等学校計画案 ・CAJ 教室棟改修 ・品川ビル計画
■2016 ~ 2018
長崎女子高等学校耐震改築・補強工事 ・南烏山サ付住宅 ・軽井沢NF 山荘 ・HO 邸 ・北烏山ハウス
■2019 ~ 21
南烏山学生寮 ・軽井沢NA 山荘 ・DS ハウス ・南烏山病院移転プロジェクト ・烏山K ハウス ・軽井沢S ハウス ・北烏山ハウス増改築工事 ・北烏山N 住宅増改築工事
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